『実法・行者講私記』和讃抜粋

wasan-00.jpg

大願成就したならば、一世一代の終わりを告げて、自らの力(捨身)によって阿弥陀の浄土へ行きたい。そうすれば生身の人間ではできなかった霊の神通力を持って、いかなる願いにも応えられる、衆生済度ができるという意志を表現したものと解釈される。(中略)実利は少なくとも、『行者講私記』の和讃を自作した明治14年から捨身入定を決意していたことになる。
A・マリ ブッシイ著 『捨身行者 実利の修験道』 角川書店 1977年発行 P93~94より