実利行者の足跡めぐり

天ヶ瀬 成就碑

千日山籠成就碑  奈良県吉野郡上北山村大字西原天ヶ瀬  2009年11月1日
笙の窟の修行者を支援した天ヶ瀬の集落の入口には石積みで築かれた一角があります。そこには実利行者が笙の窟での千日山籠行の満行を記念し、明治四年(1871)自ら揮毫して建立した成就碑が建っています。正面に刻まれた梵字は胎蔵界大日如来を現しているそうです。そのとなりには江戸時代の木喰上人の千日山籠成就碑が並んで建てられています。


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笙の窟千日山籠成就碑

実利行者(左)木喰上人(右)



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(12/24 2013 訂正)『捨身行者 実利の修験道』(p34)には、この成就碑が笙の窟にあった不動明王立像と一緒に笙の窟から天ヶ瀬に移されたと記述されています。そのため私は以前より同様の説明をしてまいりましたが、岩本速男氏によれば成就碑は最初からこの場所に建立されており、昭和12年(1937)頃、笙の窟からこの場所に移された不動明王立像の話と混同されたのではないかとのご指摘をいただきました。

(3/15 2014 追記) 岩本速男氏は『捨身行者 実利の修験道』の著者アンヌ・マリ ブッシイ氏が上北山村の取材に於いて、「特に熱心に案内を受けた」と前書きでお礼を述べている(故)岩本徳三氏の実弟です。天ヶ瀬に生まれ育ちその愛惜から後年『ふるさと天ヶ瀬』を著され、天ヶ瀬については大変造詣が深くご指摘は間違いないと考えます。なお、不動明王立像については現在奈良県の文化財に指定され、奈良国立博物館に保管されています。




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庚申塔と成就碑



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西原の紅葉  国道309号線


2013年6月10日、初めて訪れて以来三年半ぶりに天ヶ瀬を訪ねました。最初に訪れた際に成就碑の背面を確認し撮影しようと試みたのですが、背後の石垣との間が狭く頭も入らないような状態で果たせませんでした。何とか刻まれている文字を確認しようと、今回はコンパクトカメラと万が一を考え鏡も持参しました。幸いコンパクトカメラのみで石碑の背面を撮影することに成功し、初めて文字を確認することができました。「明治四辛未十月吉祥日 金峯山籠満行 實利(花押)」と刻まれていますが、『捨身行者 実利の修験道』では年月が「明治四辛子年未十一月吉祥日」となっています。これは石碑に刻まれた十の下にある横に伸びた線状の傷を一と読み取ったからではないでしょうか。文字の間隔からしても十月と思えるのですがいかがでしょうか。

(3/15 2014 追記) 石碑の日付についてですが、我が国では昔から「十一月」を「士月」と書くことが行われてきました。小の月を覚えるのに「西向く士(サムライ)」という文句を記憶している方も多いのではないでしょうか。そのことからすれば「士月」と読めなくもありませんので、ブッシイ氏は「十一月」と判断されたのでしょう。「十月」と「十一月」については今後慎重な調査と判定が必要であると思います。
もう一点、『捨身行者 実利の修験道』(p269)資料「(へ)笙の窟の石塔 上北山村天ヶ瀬」の石碑裏面の記述についてですが、ここに紹介した成就碑との間に相違がありますので以下にまとめておきます。

1.同(p269)資料では右に「金峯山山籠り満願」左に「實利(花押)明治四辛子年末十一月吉祥日」と2行書きになっています。しかし実際には掲載した写真のように右に「明治四辛未十(士)月吉祥日」中に「金峯山籠満行」左に「實利(花押)」と3行に刻まれています。

2.行数とその記述の順の違いはさておき、「金峯山山籠り満願」と山の字が連なり、「籠」の後に「り」とひらがなが入り、「満行」が「満願」となっています。

3.「辛子年末」についてですが、「辛子」という十干十二支はありませんので、辛未の誤字でしょう。成就碑の「辛未(かのとひつじ)」は明治四年の干支で合っています。「年末」がなぜ挿入されているのかは不明です。



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成就碑背面

2013年6月10日撮影
実利行者の花押について、『捨身行者 実利の修験道』ではこの天ヶ瀬の成就碑のみで他については記述がありません。また花押の形体が記載されておらず、実際にどのようなものか分かっていませんでした。私が初めて花押を確認したのは七色の経塚の石塔に刻まれた「實利(花押)」ですが、他にもう一つ、地中に潜っていて確認できていませんが、大台ヶ原の牛石に建つ孔雀明王碑にも刻まれているはずです。私が知る限りでは、実利行者の花押はここに示した三箇所の石碑に刻まれた花押のみで、他の資料には見当たりません。



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七色の経塚の石塔 (妙法蓮華経塔)
「實利(花押)」2013年6月11日撮影
この花押については大和山林會報版『大臺原紀行』9月16日の項に、牛石の孔雀明王碑について「此の實利なるもの牛石の南東邊に一碑を建つ 面に孔雀明王 左に陰陽和合 右に諸魔降伏の字あり 脊に實利及丞の花押あり」との記述があり、花押の元になった文字が「丞」であったことをうかがい知ることができます。この紀行の大阪府官吏三名による大台ヶ原踏査の案内には実利行者の弟子と言われた岩本弥市郎氏があたっており、孔雀明王碑や花押について説明したものと推察できます。「丞」はすくう、たすける、うける等と読み、補佐する、助ける、受けるとの意味があるので納得がいきます。

(12/24 2013)

「大和講農雑誌」の「大臺原紀行」  8/3 2015 追記
今年の6月、大江希望氏による『大臺原紀行 大和講農雑誌 版』が公開されました。この論文は田村義彦氏が探し当てられた、「大和講農雑誌」の「大臺原紀行」が基になっています。田村氏ご自身も「大和講農雑誌」の「大臺原紀行」に関連して、『明治時代に大阪府の植林計画による皆伐を免れた大台ヶ原』を公開されています。

本欄では「大和山林會報」の「大臺原紀行」(以下「山林版」と略す)を参考にしていますが、このたび見つかった「大和講農雑誌」の「大臺原紀行」(以下「講農版」と略す)と、本欄の説明との間で幾つか違いがあることが分かりました。小さな違いは全体としてあまり影響が無いと思いますが、違いの中でも問題となるのは実利行者の花押についてです。「講農版」は、版を組む際にわざわざ造ったと思われる活字「kao.jpg」が使用されていることが分かりました。これは「大臺原紀行」原本には「花押」が描かれていた可能性が高いことを示しています。「講農版」を底本とした「山林版」は、おそらく「kao.jpg」に似ていた「丞」の活字を間に合わせで使用したものと思われます。したがいまして、「丞」についての説明は白紙とさせていただきます。

kao.jpg 花押の画像は、サイト「き坊の棲みか」『大臺原紀行 大和講農雑誌 版』より転載させていただきました。




実利行者の花押

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サイト「き坊の棲みか」の大江希望氏のご尽力により、『実利行者の花押』が公開されました。写真を基に花押が再現、考証され、興味深い内容です。

花押の画像は『実利行者の花押』より転載させていただきました。

(10/6 2015)


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