実利行者の足跡めぐり

下北山 浦向 奥地の滝と行者祭

奈良県吉野郡下北山村大字浦向  2009年4月26日

奥地の滝は分骨碑の裏手にあります。実利行者がこの滝で修行したと伝えられ、行者の滝とも呼ばれています。滝は手前に見える奥地川の右岸に合流し、水は清冽で澄み渡っています。近年樹木が生い茂り滝の上部が見え難くなりました。


okutinotaki-01.jpg




okutinotaki-02.jpg

4/ 2009


浦向 行者祭

奈良県吉野郡下北山村大字浦向  2018年4月22日

以前より課題としていた、行者祭に参加させていただきました。行者祭は毎年実利行者の命日に当たる、4月21日前後の日曜日に行われます。今年は爽やかな好天に恵まれ、老若男女の参加で盛り上がりました。祭りに合わせたかのような、七分咲きのシャクナゲも花を添えました。祭りの飾り付けは皆さん一致協力し、手慣れた様子で進めていきます。分骨碑の前には実利行者尊像掛け軸、遺品の法螺貝、瓢箪と盃、位牌、独鈷鈴、短刀が並びます。祭りは区長さんの挨拶から始まり、梅花講によるご詠歌が唱えられます。その後参加者全員にお線香が配られ、それぞれ分骨碑にお線香を捧げ参拝します。締めくくりは餅投げで、お供え物の菓子などと一緒に丸餅が投げられます。


gyojya-maturi-01.jpg

参加者の皆様が三々五々会場に集まって来られます。


gyojya-maturi-02.jpg




gyojya-maturi-03.jpg

梅花講による御詠歌の合唱


gyojya-maturi-04.jpg

厳かに祭礼が進行していきます


gyojya-maturi-05.jpg

参加者全員でお線香を捧げお参りします


gyojya-maturi-06.jpg

子供たちが今か今かと待ち望んだ餅投げが始まりました。次々に投げられる、丸餅、菓子、ラーメンなど、皆さんとても楽しそうです。手にする方法は様々で、大きなビニール袋を広げる人、手で直接つかむ人、こぼれた物を拾う人、座り込む人、それぞれ得意の方法で拾い集めます。たくさん拾った人は少なかった人に分け与えるなど、和気あいあいの雰囲気の中に餅投げが終わりました。この後は、場所を地区の公民館に移して直来が行われました。


行者祭の参加にあたり、下北山村教育長の松田洋一氏、浦向区長の辻之内勇氏、関係者の皆様方にはたいへんお世話になりました。心より感謝いたします。

 

実利行者の短剣 鞘に収めた長さ大凡30cm
ihin-tanto.jpg

この短剣は初めて見せていただきました。今回は概要しかお伝えできませんが、改めて取材をさせていただきたいと思います。

4/ 2018


実利行者の短剣について

2018年の行者祭から早6年になりますが、3年越しのコロナ禍による自粛生活に慣れてしまったのか、遠出をする意欲がすっかり削がれてしまいました。身体が動くうちに、上北、下北両村に行きたいと思っている矢先、下北山村の国道169号で大規模な土砂崩れが発生しました。これで国道169号は通行止めになり、両村を同時期に訪れることは、ほとんど不可能になってしまいました。関係する地域の方々も、さぞかしご不便なことと思います。今年の6月下旬には仮設の桟橋で通行可能になるようですが、はっきりしたことは分かりません。私自身もこの先どうなるのか分かりませんので、実利行者の短剣について、現在分かっていることを記しておきたいと思います。

熊野に根ざした作品で知られる、宇江敏勝氏の著作『熊野修験の森』岩波書店 1999年発行 には、浦向の行者祭りが取り上げられています。目次Ⅱ 森のかくれた祭り 八章「実利行者の祭り」(p206〜214) には、この短剣のことが紹介されていますので、引用をさせていただきます。取材は1995〜1998年となっていますので、現在では忘れ去られているようなことも、記されていると思います。
(p210)
 参詣者の一人、下西敬一さん(大正十一年生まれ)は、刃渡り三〇センチほどの短剣をぬいて、私に見せてくださった。山伏が護摩供のさいの法剣の儀に用いるものである。敬一さんの曾祖父の定助が実利行者の熱心な信者で、形見としてもらったそうだ。
 そばに敬一さんの母親、はつえさん(明治三十九年生まれ)もいて、もう少しくわしく次のように話してくれた。
 「定助は、わしが三人目の子どもを腹にもったおりに、七十歳ぐらいで亡くなったわ。もう六十五年にもなるじゃろう」。ざっと計算して、実利行者が那智ノ滝に捨身入定した明治十七年には二十歳ぐらいだった人である。
 「定助は大工の弟子をしていた頃に、飯をあわてて食うて胃を悪くしたんやとう。そいで実利さんの信者になって治してもろたんや。実利さんが吉野山のほうへ奥駈けをするのに、定助は負い仏をせったら負うて、お供をしたんやて」ともはつえさんは言われる。

実利行者とともに、負い仏を背負って奥駈け道を歩く、定助さんの姿が目に浮かびます。「実利行者の祭り」では、実利行者の紹介、祭りの様子、奥駈け道を維持管理する新宮山彦ぐるーぷについても触れられています。実利行者については、アンヌ・マリ ブッシイ著『捨身行者 実利の修験道』角川書店 1977年発行を参考にしています。

3/31 2024














Real_col_Mail.png