実利行者の足跡めぐり

上北山 小橡 供養塔

孔雀明王供養塔  奈良県上北山村小橡  2009年4月26
この石碑は明治3年8月に実利行者によって建立された孔雀明王供養塔です。於鷲峯 修行中、副修 無相窟という銘が見られますが、「無相窟」は笙の窟の付近にある無双洞のことで笙の窟にも無双洞にも山籠したと考えられます。行者は修行中であっても村へ出て、加持、祈祷を行って人々の願いに応えていたようです。他にも釈迦ヶ岳修行中に下北山村寺垣内へ出て、加持、祈祷を行ったことが北栄蔵氏の『実利行者尊御事跡』に記されています。石碑の左面には副修 無相窟 慶白、月辺も 八華茂 友成り ほととぎす、と歌が刻まれています。右側は八幡祠。


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孔雀明王供養塔  石塔の高さ約80cm、横幅36cm


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『捨身行者 実利の修験道』(p268)資料篇より

『捨身行者 実利の修験道』(p65)には、石碑に刻まれた歌「月辺も 八華茂 友成り ほととぎす」の読み方と感想が紹介されています。(以下)
 八華の語が不明で、これをハカとよめば、月に照らされた墓を見ていると、ほととぎすが鳴いた。月も墓もほととぎすもわが友である、ということになる。しかし、八華を八種の花とすれば、花の咲いた野辺を照らす月を見ながら、月も花もほととぎすも、わが友であるということになる。いずれにせよ貴族の歌と違って、技巧はまったくないが、その境地に入ってよんだ歌であるだけに貴いと思われる。



孔雀講の祭り
供養塔の願主、奥村、奥田両家は小橡の名家でした。ご両家の一族のお話では、この供養塔にちなんで、地域に孔雀講という講が組織されていたそうです。そして奥村、奥田一族が頭屋を担い、毎年正月の7日に孔雀講の祭礼が開催されてきました。祭司を大台教会より招き、供養塔の下に建つ祠の敷地で採燈護摩が行われました。しかし残念なことに、講を支える人々の高齢化にともない、平成17年頃を境に開催されなくなりました。

(10/16 2015)















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