実利行者の足跡めぐり

下北山 歴史民俗資料館

奈良県下北山村上桑原 2009年4月26日
寺垣内の正法寺には実利行者に関係する多くの資料が残されていました。その資料が下北山村歴史民俗資料館に保存されています。この資料館は文化学院創立者で建築家の西村伊作氏が、大正14年に無医村であったこの地に医師の誘致を考え、病院として自ら設計し建築された前資料館(旧桑原病院)を移築したものだそうです。下北山村の歴史資料や先人達が使用した生活用具等が展示されています。


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実利行者の資料

仏説延命地蔵菩薩経、諸加持作法、不動尊秘密陀羅尼経、千手千観世音菩薩、妙法蓮華経提婆達多品、仏母大孔雀明王経、実法 行者講私記、旅日記、明治七年転法輪巻二、明治十七年実利行者為御(遷)化際遺書、麻利支天陀羅尼経写、道案内記、文久二年薬主(種)方、種字集、仏生講中連名簿、不動明王画像、他



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実利行者尊像

下北山村  北徳次氏  所蔵  2009年10月30日撮影
この肖像は『捨身行者 実利の修験道』(P91)に於いて、実利遺物として紹介されている北家所蔵の肖像です。肖像はこの他に2点有りますが「賛」がついているのはこれだけです。  本体高さ約108cm、幅約44cm


以前よりこの場所に掲載していました「実利行者尊像の讃の試読」についてですが、大江希望氏による論文「実利行者立像」の「讃」解読として完成いたしました。論文は私の予想を遙かに上回る内容で、大江氏のご尽力に感謝いたしますと同時にここに敬意を表します。更に論文は解読と併せて実利行者についての考証がなされ、私が書き至らなかった内容も多く是非ご覧になっていただきたいと願い、ここに紹介させていただきます。

(2010年8月9日)

「実利行者尊像」の讃の冒頭にある「ももくき根」について、大江希望氏があらためて詳しく調べられましたので紹介させていただきます。美濃の枕詞として「百岐年」(ももきね)と読まれるようになったのは意外と新しく、昭和初年以降のことで、それまでは長年「ももくきね」と読まれてきたことなど、万葉集の読み方の変遷について述べられていて興味深い内容です。

(2010年9月26日)


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実利行者の遺品 独鈷鈴  下北山村  北徳次氏 所蔵  2009年10月30日撮影
高さ15cm程でとても澄んだ音色が印象に残っています。



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実利行者の遺品 法螺貝  下北山村  浦向地区 所蔵  2010年6月4日撮影  長寸約33cm



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実利行者の遺品 瓢箪と杯  下北山村  浦向地区 所蔵  2010年6月4日撮影  高さ約30cm

法螺貝、瓢箪と杯については『捨身行者 実利の修験道』に紹介されてます。
(P91より)
 実利行者は祈祷をたのまれて、その御礼に寄付を受けたり、あるいは援助を与えられたので、それに対する感謝のしるしに掛け軸や宝剣や仏像や法螺貝を授けた。(中略)世話になった所の浦向の下西きぬ女に法螺貝、瓢箪、杯を与えた。

また、『捨身行者 実利の修験道』出版から22年の後に出版された、宇江敏勝 著『熊野修験の森』岩波書店 1999 (P210)には、下西きぬ女さんの御子孫と思われる下西モリエさんという七十年配の女性の話が紹介されています。下西モリエさんによれば、下西家はその昔芳水館という旅館を営み実利行者も訪れていたようです。当時は奥駆け道の修繕などに協力し、そのお礼として法螺貝や瓢箪と杯を授かったのではないかと話しています。現在、法螺貝、瓢箪と杯は下北山村浦向地区が管理されています。

「法螺貝、瓢箪と杯」は資料館の福本一三氏、浦向地区の奥村、和田両氏のご協力を得てここに紹介することができました。皆様方には心より感謝いたします。














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