実利行者の足跡めぐり

阿木川上 実利行者碑

岐阜県中津川市阿木川上  2010年4月24日
この行者碑の存在は実利教会の林教会長に教えていただきました。近くの家で庭仕事をしている奥さんを見つけ、行者碑の所在を訪ねました。とても親切な奥さんで「今時分なら行くことができるだろう」と、わざわざ長靴に履き替えて案内をしてくださいました。現在は谷に架かる橋が流されてありませんが、谷の水量が少ない時には岩伝いに谷を渡ることができます。谷を渡ってからも道ははっきりしませんが、この時期はまだ藪が茂っておらず行く手を阻むようなことはありませんでした。現在石碑が建っているあたりには以前民家と田があったそうです。当時石碑は右手にある小さな沢を登ったところにあり、小堂が一緒に建っていたそうです。小堂では毎年例祭があり餅撒きも行われていたそうです。ところが数十年前にこの沢一帯で土石流が発生し、石碑と小堂はもとより、ここに建っていた家と田もすべて流されてしまったそうです。現在石碑にはあまり手が入っていませんが、隣には桜の木が植えられ、時々数人の方が訪れてお参りをされているそうです。



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右の石碑は高さ約180cm 、幅約90cm、奥行き約120cm 。土石流に飲み込まれ流されたせいか文字が分かり難くなっています。左の石碑は比較的新しく、高さが約70cm 、裏には平成4年2月建之とあります。




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石碑上部の右の行は、「両石建立名前是ニ記ス」のようです。左の行は、「明治十七年申・・・」とあり、実利行者の命日ではないでしょうか。両石建立とありますので、対になった碑がもう一つありその碑は土石流により不明になったのではないでしょうか、そしてその代わりに新しい二代行者実利霊碑が建立されたのではないかと考えています。

(4/24 2010)

 

追 記  10/5 2016 
平成22年(2010)4月、私が初めてこの行者碑を訪れた2ヶ月後、足跡めぐり「坂下 大門 供養塔」以来お世話になっている中根氏が阿木川上を訪ねられました。実利行者碑の所在について訪ね歩かれた末、行者碑についてよくご存知の高山庄一さんを探し当てられました。それを知った私は、高山さんからお話しを伺うつもりでいたのですが、あっと言う間に4年の歳月が流れました。そして平成26年(2014)7月、やっと高山さんからお話しを伺うことができました。新たに明らかになったのは、土石流が発生した時期、流失以前の小堂や石碑が建っていた遺構の場所と規模、鳥居の存在、例祭の様子などです。

実利行者碑が立つ右手の沢を少し上ったところには、小さな滝があります。かつてはその滝下に不動明王を祀る八畳ほどの小堂が立っていたそうです。その一角には鳥居や多数の石碑が並び、お不動さまと呼ばれていたようです。昭和6年生まれの高山さんが幼少の頃は毎年盛大に例祭が行われ、餅撒きや屋台の出店もあって賑わったといいます。盛大な例祭がいつ頃まで行われていたかについてははっきりしませんが、太平洋戦争が始まる頃には行われなくなっていたようです。戦時中は地域から出征する方々の武運長久を祈願し、採燈護摩と火渡りも行われていたそうです。沢の周辺が土石流に襲われたのは、昭和36年(1961)の梅雨前線による豪雨で、通称「三六災害」(さぶろくさいがい)と呼ばれた豪雨の時のようです。現在は小堂が建つような平らな場所は見当たらず、無残に崩れ落ちた山肌と沢の途中に横たわる破壊された鳥居の残骸が確認できます。沢には多数の石碑が埋没したままで、現在実利行者碑の隣に立つ「両石建立名前是ニ記ス」と刻まれた大きな石碑だけが埋没を免れ、移設されています。



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2016年9月25日撮影
滝下の左岸は割と大きな樹木が立ち並び、安定した岩肌も点在しています。右岸が大きく崩れていますので、おそらくお不動さまの遺構は滝下の右岸に建っていたものと思われます。




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2016年9月25日撮影
この場所にお不動さまの遺構が存在していたことを示す、唯一目にすることができる鳥居の残骸です。





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2010年4月24日撮影
「両石建立名前是ニ記ス」の石碑には30名ほどの姓名が刻まれています。高山さんによれば、ほとんどが阿木川上の人の姓名ではないようで、原、吉村、市岡姓が多く見受けられます。


 

實利大行者の掛け軸
この掛け軸は高山家に代々伝わり、木曽御嶽信仰に関わる多数の掛け軸と一緒に床の間に祀られています。高山さんのお祖父様は御嶽講の先達をされていたそうで、御嶽山黒沢口の八海山には高覚霊神としてお祀りされているそうです。


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実利大行者掛け軸  阿木川上 高山庄一氏所蔵  2014年7月23日撮影  本体寸法:幅約31cm 高さ約135cm
この掛け軸は当時前鬼の森本坊が教授していたといわれる刷毛筆による書です。作者は実利行者の弟子となった前鬼中之坊の五鬼上義正で、「大峯山前鬼山中之坊五鬼上義正書」の署名に落款が押されています。

五鬼上義正については『捨身行者 実利の修験道』(p33)に、那智大社元宮司篠原四郎氏の父で御嶽行者であった篠原源岳の旅日記に記載されています。大峯奥駈けの途中、明治三十六年(1903)四月十八日前鬼へ行ったときの記述。
(以下)
 下北山村字前鬼山、森本坊、小仲坊、中之坊、廃坊不動坊は五鬼熊義真、不世出人物成由に聞。上北山村西原ノ産。原籍前鬼ニ在。五鬼上義正、実利行者ノ弟子ニテ当時東濃落合湯船沢に住ス。
(以上)
これにより、前鬼山中之坊の五鬼上義正は実利行者の弟子で、当時東濃(現在中津川市)落合湯船沢に住んでいたことが分かります。湯船沢に住んでいた事情は分かりませんが、五鬼上義正の手による掛け軸が阿木川上の高山家に存在することにより、篠原源岳の旅日記の記述が裏付けられたことになります。実利行者入定から19年後、五鬼上義正が当時中津川周辺一帯で活動していたことがわかります。




行者峰とスカシ岩
阿木川上の実利行者碑から、前沢川を挟んだ南の方角には行者峰と呼ばれる山があります。行者峰の東方にはスカシ岩と呼ばれる大きな岩山があり、昔は中津川の町からも見えたそうです。この岩の天辺は平らになっていて、以前は小さな祠が建っていたそうです。近くには雄滝と女滝があり、修験者の修行の場となっていたようです。12年ほど前に、地元の有志グループが山道を知る人に案内を頼み、スカシ岩に登り祠や滝を確認したそうです。近くには恵那山信仰で賑わった恵那山や恵那神社があり、何らかの関連があったと考えられます。高山さん所蔵の地図を基にして、国土地理院の地図上に行者峰、スカシ岩、滝の位置を確定してみました。



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出典:国土地理院ウェブサイト (当該ページのURL) 行者峰、スカシ岩、雄滝女滝、それらを示す印の記入は当サイト管理者による




こころよく取材にご協力をいただき、貴重な情報を提供してくださいました高山庄一さんご夫妻には、心より感謝いたします。

(10/5 2016)





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