実利行者の足跡めぐり

下北山 松葉垣内 北家と供養塔

奈良県下北山村松葉垣内  2018年4月21日
北栄蔵氏は実利行者の祈祷によって難病が治り、熱心な信者となって行者に尽くしました。実利行者の思想や信仰をよく知り、信頼も厚かった北栄蔵氏からの聞き取りにより、正法寺住僧定円泰恵によって書かれた、『実利行者尊御事跡』が残されています。また正法寺の行者堂造営に当たり、自ら資金を提供し信者を訪ねて寄付金を拠出しました。北家には実利行者尊像の掛け軸、位牌、独鈷鈴、供養塔が伝えられています。

A・マリ ブッシイ著 『捨身行者 実利の修験道』 角川書店 1977年発行(p274)『実利行者尊御事跡』より
 就中北栄蔵ノ如キ難症モ、一度祈願ヲ受ケル哉、霊験著シク立処ニ平癒ス、之ヨリ病者ノ声四方ニ起リ、奇瑞ヲ受ケル者無数

同( p86)より
 大和の上北山村や下北山村では祈祷によって病気を治す行者として実利は有名になった。(中略)実利行者は病気治癒呪術に優れていた。その風評はこの山間の村につたわり、いまもそれは語りつたえられている。しかも彼は薬草も用いたらしく、寺垣内の正法寺に残存している『薬種方』がある。そのほかに、湿気や虫食いのためほとんど読めなくなった薬方の巻物一軸がある。また『勤行本』に記されている民間薬調製法を見ると、彼は薬草についてかなり詳しい知識をもっていたことがわかる。昔から山伏は呪術だけでなく、薬による治病を行ったが、実利にもそれが見られる。

実利行者尊像


gyojya-sonzo.jpg

下北山村 北徳次氏 所蔵 2009年10月30日撮影 本体高さ約108cm、幅約44cm

この肖像は 同(p91)に実利遺物として紹介されている肖像です。肖像はこの他に二点確認していますが「讃」が書かれているのはこれだけです。

「讃」については大江希望氏のご尽力により解読され、「実利行者立像」の「讃」解読 として2010年8月に公開されました。論文は解読と併せて実利行者についての考証がなされ、広範な内容でたいへん参考になります。また「讃」の冒頭にある「ももくき根」についても調査され、2010年9月「百茎根 ももくきね」が公開されました。美濃の枕詞として「百岐年」(ももきね)と読まれるようになったのは意外と新しく、昭和初年以降のことでした。それまでは長年「ももくきね」と読まれてきたことなど、万葉集の読み方の変遷について述べられ興味深い内容です。



実利行者の遺品 独鈷鈴


dokkorei.jpg

下北山村 北徳次氏 所蔵  2009年10月30日撮影
高さ15cm程でとても澄んだ音色が印象に残っています。



實利霊神位牌


kitake-ihai.jpg

下北山村 北徳次氏 所蔵  2018年4月21日撮影
大臺教会古川嵩教会長による位牌 高さ約25cm


遠津御祖代々祖等親族霊位
梅楼寛實利霊神

明治卅一年五月福日
齋権大教正古川嵩之



度重なる取材にご協力をいただきました寺垣内区長、北徳次氏には心より感謝いたします。

(5/22 2018)



供養塔

奈良県下北山村松葉垣内  2009年4月26日
松葉垣内にある北家の供養塔。向かって右は明治15年11月7日、実利行者が北家先祖代々の菩提のために写経埋経した供養塔。向かって左は実利行者入定後、北栄蔵氏が建てた実利行者供養塔。


kitake-kuyoto-01.jpg




kitake-kuyoto-02.jpg

北家供養塔(右)  塔の高さ約98cm、横幅約35cm



kitake-kuyoto-03.jpg

実利行者供養塔  塔の高さ約45cm、横幅約18cm



sekihi-moji-02.jpg

『捨身行者 実利の修験道』(p270)資料篇より




kitake-kuyoto-04.jpg

供養塔の建つ墓所  2010年6月撮影










Real_col_Mail.png